吉野皇太后(読み)よしのこうたいごう

世界大百科事典(旧版)内の吉野皇太后の言及

【井上内親王】より

…しかし772年(宝亀3)長年にわたり天皇を呪詛したとして,巫蠱(ふこ)・厭魅(えんみ)大逆の罪で廃后され,これが息子の他戸(おさべ)親王(実子でないという説もある)の廃太子・皇籍剝奪事件に発展し,翌年天皇の同母姉難波内親王の死が彼女の厭魅によるとして,母子ともに大和国宇智郡に幽閉され,1年半後に日を同じくして没した。この死は他殺もしくは自殺の可能性が強く,没後早くから祟りを恐れ,墓を改葬し山陵とし,后位を追復し吉野皇太后と追称したり,神社や山陵に幣帛や読経の奉納が行われている。この事件は藤原百川が中心となり天智天皇系の光仁―桓武の皇位継承を確立するため,天武天皇系の井上―他戸を廃する陰謀とみる説が有力である。…

※「吉野皇太后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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