世界大百科事典(旧版)内の同泰寺の言及
【寺院建築】より
…南北朝時代にはいり,仏教が社会的に普及するようになると,数多くの仏教建築がつくられ,500以上の仏寺を擁した南朝の建康(南京)や,1000をこえる仏寺が林立した北魏の洛陽のような都市も出現した。なかでも梁の武帝がしばしば捨身した同泰寺や,塔刹(とうさつ)に30重の承露盤をそびえ立たせた北魏洛陽の永寧寺九重木塔などは,歴史上に名高い仏教建築である。 初期の伽藍は仏陀を供奉する建物を中心に構成されたが,仏舎利信仰の高揚とともに,仏舎利をまつる塔と仏を安置する仏殿とがそれぞれ独立分離し,形態的には塔を中心とする伽藍から仏殿中心の配置へ変化したようである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」