世界大百科事典(旧版)内の《名所江戸百景》の言及
【歌川広重】より
…このころより乱作の影響もあって,マンネリ化・類型化が目立ち,また顔料の質的低下も手伝って通俗的傾向が著しくなる。しかし,最晩年の56‐58年(安政3‐5)にかけて,118枚に及ぶ広重作品中の最大のシリーズ《名所江戸百景》を発表,老成した手腕を発揮した。広重は,やまと絵における四季絵・名所絵の伝統を江戸末期に復活し,田舎や都会の自然の風情を抒情的に表現することによって日本的風景画の一様式を完成した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」