名越宗長(読み)なごしむねなが

世界大百科事典(旧版)内の名越宗長の言及

【安芸国】より

…その後に還補された武田氏も,孝親以来の守護領を継承したが,文永の役(1274)に際し,信時は安芸に下って地頭御家人および本所領家一円地の住人を指揮して防御に当たるべきを命ぜられ,その権限に乗じて以前から繰り返していた荘公への介入を強めた。 守護職はその後89年(正応2)までの間に北条氏一門の名越宗長に移り,得宗専制政治の下で一門の所領は当国でも増加し,可部荘東方,苅田久武郷,沼田荘梨子羽郷などがあるが,名越氏の下において武田氏は在国司,佐東郡地頭等を兼帯し,在庁官人の被官化を進めた。鎌倉時代を通じて当国に所領を得た東国御家人も,直ちに本拠を移したのではない。…

※「名越宗長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む