世界大百科事典(旧版)内の名越氏の言及
【越後国】より
…頼朝は安田義賢を国司に,守護には佐々木盛綱など有力御家人を任じて越後の国政をにぎった。頼朝の没後,幕府内で北条氏が有力化するにつれて守護職は北条義時を経て一門の名越氏に伝えられ,国司も名越氏の併任を経て,北条一門に伝えられた。国内の各所領でも関東御家人が,没落した城氏の旧領で地頭に任命されたことによって続々移住してきた。…
【越中国】より
…比企氏の北陸道守護は91年(建久2)以前に一度停止され,再びその一族とみられる大田朝季が越中守護となったが,1203年(建仁3)9月比企の乱によって北条氏一族がこれに替わって守護になったとみられる。その由緒で承久の乱には北条朝時が北陸道大将軍となって西上,これ以後,鎌倉時代を通じてその子孫の名越氏が守護職を世襲した。しかし守護名越氏もその守護代もともに鎌倉にあって,在地では又守護代が職務を代行し,守護所は放生津に置かれた。…
※「名越氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」