世界大百科事典(旧版)内の后氏の言及
【入内】より
…なおこの儀は南北朝期以降中絶し,後陽成天皇のときに再興されて江戸時代末に及び,1868年(明治1)12月一条美子(昭憲皇太后)が立后の儀に先立って女御入内の儀を行ったのが最後である。しかし1910年制定の皇室親族令に,大婚の儀に先立ち,皇后となるべき人を后氏といい,その皇居に参入の儀式を后氏入内の儀と称しているのは,平安時代以来の女御入内の儀に倣ったものである。【米田 雄介】。…
【大婚】より
…その儀は,1910年制定の皇室親族令に詳細に規定されているが,平安時代以来の女御入内の儀を取り入れた古式豊かな儀制である。なお大婚は天皇が満17歳に達した後に行うとし,皇后たるべき人(后氏という)は満15歳以上の皇族または特定の華族の女子と定め,大婚と同時に立后の詔書を発することとしたが,第2次大戦後,皇室典範をはじめ皇室関係法令の改廃が行われ,后氏に対する制限が解除されるなどの変更が加えられている。しかし皇太子の婚儀は大婚に準じて行われるとの皇室親族令の規定により,1959年の皇太子の結婚式は旧皇室親族令の規定に準拠して行われた。…
※「后氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」