世界大百科事典(旧版)内の呉中四才子の言及
【祝允明】より
…広東興寧知県,応天府通判などを歴任した。唐寅,文徴明,徐禎卿と共に呉中四才子と呼ばれ,奇行をもって有名。詩文をよくし,書に巧みで,小楷は鍾繇(しようよう),王羲之,狂草は懐素,黄庭堅を学び,筆勢は鋭く奔放である。…
【文徴明】より
…父の文林は成化8年(1472)の進士で温州知府に終わった。文徴明は詩文を呉寛に,書を李応禎に,画を沈周(しんしゆう)に学んで三絶と称賛され,祝允明,唐寅,徐禎卿とともに呉中四才子といわれたが,科挙には10回応じてついに合格しなかった。54歳で歳貢生として北京に赴いて翰林院待詔を授かり《武宗実録》の編修に参与したが,3年後には致仕し帰郷した。…
※「呉中四才子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」