《呪われた詩人たち》(読み)のろわれたしじんたち

世界大百科事典(旧版)内の《呪われた詩人たち》の言及

【象徴主義】より

…それもただの紹介ではなく,適切な評価に基づいて賞賛されたのである。その前年から,ベルレーヌが発表していた一連の詩人論《呪われた詩人たちLes poètes maudits》(1884)も,新しい詩の動向を知らせる一助になったと思われる。 前記モレアスの宣言は,以上に概観してきたような状況のなかで書かれたものである。…

【ベルレーヌ】より

…80年代半ばデカダン派の台頭とともに彼はその巨匠に祭り上げられるが,この世間的名声の下に刊行された《昔と近頃》(1885)以降の諸詩集は,有名な《詩法》その他いくつかの佳編を除けば,その膨大な量にもかかわらず彼の真の文学的栄光に新たな光輝を加えたとはとうていいえない。晩年の彼の作品で最も重視すべきはむしろ評論であって,《呪われた詩人たちLes poètes maudits》(1884)はマラルメ,ランボーの存在を世に周知させて,ユイスマンスの《さかしま》(1884)とともに象徴詩派の形成に大きな影響を与えた。 日本へのベルレーヌ紹介は,その死去に際して東大生上田敏がいち早く発表した《ポオル・ヱ゛ルレエヌ逝く》(1896)にさかのぼり,蒲原有明(1904。…

※「《呪われた詩人たち》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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