和田勁(読み)わだつよし

世界大百科事典(旧版)内の和田勁の言及

【東亜連盟】より

…3国間の政策の一致ないし一部の国家機関の共同により日中両民族の対立を提携に転換させることで,戦争の速やかな終結をはかることに当初の主眼があった。近衛文麿首相の〈東亜新秩序〉声明を背景に,39年10月,木村武雄が東方会系の農民運動家や和田勁ら満州国協和会系の人々を集めて東亜連盟協会を設立し,和平気運促進の運動を始めると,日本国内等に十数の支部ができただけでなく,汪兆銘の〈南京政府〉もみずからの立場を基礎づける理論として,東亜連盟論を積極的に採用した。しかし,石原がしだいに同論の主眼を日中和平の実現にでなく,〈世界最終戦争に必勝の態勢〉をという主張に移すようになると,運動の担い手の多くが脱退した。…

※「和田勁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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