世界大百科事典(旧版)内の和田啓十郎の言及
【漢方薬】より
…1883年医師免許規則が公布されるに及んで,漢方医の強い反対運動にもかかわらず,制度上,漢方が葬り去られることになった。こうしたなかで和田啓十郎は《医界之鉄椎》(1910)を出版し,漢方の有用性を世に訴えた。これに応じて門人となった湯本求真は《皇漢医学》3巻(1927)を著して,漢方医学の灯を守った。…
【東洋医学】より
…さらに1883年に〈医師免許規則〉が成立し,西洋医学を修めたもののみが,医師として認められるようになって,制度上,漢方医学が葬り去られるにおよんで急速にその勢いを失うこととなった。このような当時の政策に対し,和田啓十郎(1872‐1916)は《医界之鉄椎》,湯本求道(1876‐1941)は《皇漢医学》を著して,漢方医学の有用性を主張するとともに,その伝統を伝えた。その後,漢方医学で行う鍼灸などの諸治療は医療類似行為とされ,一部の研究者の興味と民間の関心に支えられて今日に至っている。…
※「和田啓十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」