咸鏡線(読み)かんきょうせん

世界大百科事典(旧版)内の咸鏡線の言及

【咸興】より

…咸興平野の農業地帯を背景に商業都市として発達し,とくに穀物や牛の市がにぎわったところである。日本植民地時代の1928年に咸鏡線(元山~会寧)が開通すると,中間の主要駅となり,北方奥地の蓋馬(かいま)高原方面に至る産業鉄道の発着点となった。29年以後赴戦江および長津江の二大水力発電所が完成すると,これを基礎に隣接の興南地域に野口財閥(野口遵(したがう))によって大型の窒素肥料工場をはじめ各種の化学工場が建設されるようになり,またたくまに北朝鮮最大の重化学工業地帯に発達した。…

【羅津】より

…冬季も砕氷船を必要としない天然の良港,羅津港を有する。1932年に咸鏡線(元山~会寧)がようやく到達したが,鉄道交通上最僻地にあたり零細な漁村にとどまった。1965年に清羅線の完成により清津と直結し,交通の要衝として都市化が進み,67年市に昇格。…

※「咸鏡線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」