唐律(読み)とうりつ

世界大百科事典(旧版)内の唐律の言及

【刑罰】より

…7世紀半ばの大化期にはまだ徒刑は現れていないが,笞杖刑,流刑,死刑や盗犯に対する倍額賠償制等がみえ,それらには,中国律の影響がうかがわれる。 7世紀後半の天武朝初期に,日本に初めて唐律の五刑の刑罰体系が導入され,8世紀初頭の大宝・養老律令の制定に至って,その確立をみた。律の刑罰は,笞罪(ちざい),杖罪(じようざい),徒罪(ずざい),流罪(るざい),死罪の五刑二十等を主刑とし,このほか,加役流,人身の没官,移郷が主刑に準ずるものとしてあり,付加刑としては,贓物の没収,被害者への返還,損害賠償,官人に対しとくに科せられる除名(じよみよう),免官,免所居官等がある。…

【中国法】より

…この傾向は前漢の末から,後漢にかけてとくに著しく現れた。
[中世]
 漢律令は三国魏によって受けつがれ,晋,南朝梁を経て陳に至って断絶したが,一方北朝の北魏は漢律令を受けて,独自の律令を制し,それが北斉を経て隋の律令となり,これが唐律令の母法となった。漢律からここに至る間に決定的となったのは,法制をもっぱら儒教主義によって解釈運営することになった事実である。…

【唐律疏議】より

…唐の長孫無忌らの奉勅撰と伝えられる。《唐律》12編500条(実は502条)の各条にわたって字句の解釈をほどこすとともに,疑義の生じそうな条には適用に関する問答を付していて,唐代のみならず,中国刑法史の研究上もっとも重要な書である。本書は653年(永徽4)に長孫無忌らによって編集された《永徽律疏》とされてきたが,仁井田陞らは737年(開元25)に李林甫らによって編纂された《開元律疏》であると主張した。…

【律令格式】より

…そのため国家のなりたちと社会の組織を異にし,礼・楽の未発達な日本では,これの継受は困難であったとみられ,法典としての律の編纂は令のそれよりおくれて大宝律(701制定・施行)に始まり,続く養老律(718ころ編纂,757施行)との,2度の編纂をもって終わる。唐律のうちの,同姓不婚などの家族制度の違いから日本に適用しがたい規定を削除したような例を除き,おおむね唐律の文章を引き写して条文を作成している。ただ全般的に刑を軽くしている点に,特徴がある。…

※「唐律」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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