善光寺聖(読み)ぜんこうじひじり

世界大百科事典(旧版)内の善光寺聖の言及

【善光寺】より

…この命によって91年(建久2)に本堂が完成し,ついで1237年(嘉禎3)10月には五重塔婆の落慶供養が,本寺近江三井寺の別当勝舜出席のもとに営まれている。 この頼朝による善光寺再建への助成は,勧進上人すなわち善光寺聖の勧進活動の成果にほかならない。彼らは種々の説話をもって各地を遊行し,善光寺信仰の勧進教化に努めたが,その説話の一つに善光寺如来と聖徳太子との間で消息の往返がなされたという話がある。…

【源義仲】より

…この死に臨んでの2人のやりとりは,乳母子とのきずなの強さを示すとともに,この主従の関係が友情とも呼べるようなつながりの側面ももっていたことをうかがわせている。義仲寺(ぎちゅうじ)【山内 若亡】 義仲の事跡は,信濃善光寺聖(ひじり)によって語り伝えられ,《平家物語》に書きとどめられた。《平家物語》の伝える,以仁王の令旨を受けての挙兵後に平家との戦闘のあった横田河原は,善光寺の近くであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」