嘉禄法難(読み)かろくほうなん

世界大百科事典(旧版)内の嘉禄法難の言及

【光明寺】より

…山号を報国山,院号を念仏三昧院という。1227年(安貞1)いわゆる嘉禄法難のとき,延暦寺の衆徒が東山の大谷にある浄土宗の祖法然房源空の廟堂を破却すると,源空の門弟たちは師の遺骸を嵯峨や太秦(うずまさ)にかくしたすえ,粟生野(あおの)で荼毘(だび)に付し,遺骨の一部と灰を埋めた。この地に建てた廟所が初めという。…

【浄土宗】より

…法然によって開かれた仏教の一宗派。《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》の三経(浄土三部経)とインドの世親の著した《浄土論》を正依の経論とし,称名(しようみよう)念仏(南無阿弥陀仏と口に称える)によって,阿弥陀仏の極楽浄土へ往生することを期す。唐の善導を高祖,法然を宗祖とする。1175年(安元1)法然は43歳で専修(せんじゆ)念仏の確信をえた。まだ教団は形成されていなかったが,このときをもって浄土宗開創とする。…

※「嘉禄法難」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」