世界大百科事典(旧版)内の囚人組合の言及
【行刑】より
…一方では1960年代には,アメリカの公民権運動,反戦運動,学生の反乱とともに体制側の権威失墜もあり,刑務所体制に対しても従来の受刑者訴訟によるものや突発的暴動のみならず,組織的な挑戦が試みられ始めた。1966年のスウェーデンにおける囚人組合KRUMの結成は北欧諸国に広がり,70年代にはアメリカ合衆国やイギリスでも同様の動きが出現し,改善効果への実証的研究に基づく疑問も提起されて,受刑者に対して,種々の権利制限を伴いながら積極的に矯正処遇を実施していく自由刑の改善理念は後退した。これはアメリカでは,犯罪者を基本的には病人と同視する,従来の〈医学モデル〉に対立して主張され出した,刑事司法・犯人処遇についての〈正義justiceモデル〉に支えられ,カリフォルニアなどいくつかの州における不定期刑の廃止やパロールの廃止・変容などに具体化したが,犯罪情勢の悪化を背景に,北欧諸国のように改善理念の後退が拘禁刑の縮小と名目的非難による一般予防への転換には結びつかず,むしろ対症療法的な隔離・排害と威嚇・抑止のための拘禁拡大を伴い,過剰拘禁など新たな問題を生じさせている。…
【受刑者】より
… ドイツ連邦共和国では1960年の行政裁判所法によって受刑者による訴訟の可能性が明文で認められ,アメリカ合衆国でも1960年代になって,それまでの〈裁判所は手を触れるな(ハンズ・オフ)原則〉がすてられ受刑者訴訟が拡大していった。受刑者による権利主張はまた,北欧諸国やアメリカにおける囚人組合の結成にもみられる。日本では,一死刑囚の訴えに対する1958年の大阪地裁の判決で,監獄の長の在監者に対する特別権力関係に基づく行為でも,法律に違反し,また監獄の存立目的から合理的に不可欠と考えられる範囲を逸脱した場合には司法救済を求めることができるとされ,新聞紙の閲読,差入禁止を憲法違反とするなど主張の一部が認められた。…
※「囚人組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」