世界大百科事典(旧版)内の囚人自治制の言及
【オズボーン】より
…1904年オーバーン市長に選ばれ,10年州上院議員となり地方政界でも活躍したが,13年州監獄改良委員会の長をつとめていた際,志願囚としてオーバーン刑務所で1週間を過ごし,以後,監獄改良のために一生をささげた。彼は囚人自治制を推奨し実践したが,これには賛否の議論が渦巻き,14年シン・シン刑務所長に就任したものの,1年で職を退き,あとはおおむね野にあって〈休みなき闘い〉(彼の伝記の表題)を続けた。主著《監獄と社会》。…
【行刑】より
…また人道主義の思潮もあって19世紀末から20世紀にかけて先述の懲罰的苦役は否定され,刑務作業は経済的に意味があり犯人の社会復帰にも役立つべしとする有用作業の原則が確立した。 20世紀には,T.M.オズボーンによる囚人自治制の試みがあり,またカリフォルニアなどの諸州では,積極的に犯人改善を目ざした心理療法や集団療法等の手法が開発され,科学主義を標榜して犯人一人一人の必要に応じた個別処遇を目ざす分類処遇が,それまでの画一的機械的に受刑者の自由領域を広げていって改善釈放につなげる累進制に取って代わる様相を示した。国連による被拘禁者処遇最低基準準則(1957採択)など人権保障の手当てや,施設内処遇から社会内処遇への転換も主張され,高い塀や厳重な施錠といった拘禁確保のための物理的設備を伴わない開放処遇や,施設拘禁とパロールとの中間処遇も発展した。…
※「囚人自治制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」