世界大百科事典(旧版)内の四方庵の言及
【宗徧流】より
…山田宗徧は東本願寺の末寺である,京都二本松の長徳寺明覚の子として生まれ,周学と称していた。16歳で小堀遠州より印可をうけ,そののち千宗旦の門をたたいて還俗し,宗旦四天王の随一として四方庵,不審庵などの号を与えられ,利休流侘草庵茶の皆伝をうける。1655年(明暦1)宗旦の推挙で三河国吉田城主小笠原忠知に茶道をもって仕官し,三十数年間を同地ですごしている。…
※「四方庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」