世界大百科事典(旧版)内の四箇市庭浦の言及
【四日市[市]】より
…16世紀には諸勢力角逐の場となった。 四日市の地名は1473年(文明5)〈四箇市庭浦〉とみえるのが史料上の初見で,これは,北伊勢に進攻した北畠氏が警固(海上関)を設置したのに対し,伊勢神宮がその廃止を要求した文書である。四箇市庭浦の位置は三滝川右岸の河口部,現在の北町を中心とする地域であり,近接した羽津,茂福(もちぶく)などの港湾都市とともに,港町として急速に発展したことがうかがわれる。…
※「四箇市庭浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」