四谷正宗(読み)よつやまさむね

世界大百科事典(旧版)内の四谷正宗の言及

【源清麿】より

…信州小諸の郷士山浦信友の次男で,名を内蔵助環(たまき)といい,一貫斎と号した。17歳のとき,兄真雄とともに上田藩工,河村寿隆の門に学び,ついで1834年(天保5)に江戸に出,幕臣で兵法家であった窪田清音の後援を受けて技をみがき,四谷に住して四谷正宗とも呼ばれた。志津あるいは左文字などの古作を理想としたと思われ,地景・金筋入りの地刃の冴えた作風は他の幕末刀工の追随を許さない彼独得のもので,幕末期第一の名工との評価を得ている。…

※「四谷正宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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