世界大百科事典(旧版)内の国家改造の言及
【昭和維新】より
…昭和初期から10年代にかけて,軍人の一部や民間の右翼が標榜した〈国家改造〉のスローガン。1920年代後半から30年代初頭,中国民族運動の発展,国内の恐慌による経済混乱,社会運動の活発化,退廃的世相などに危機感を抱いた彼らは,明治維新以来,日清・日露戦争と日本が発展してきたにもかかわらず,こうした危機が起こってきたのは,政党政治の腐敗に象徴される支配のあり方にあるのだとし,明治維新になぞらえて,第2の〈維新〉を主張した。…
【ファシズム】より
…いずれにせよ,上述のようなイタリアの体制と,かつての日本とはそれほどの違いはなく,むしろ,ナチス〈第三帝国〉はファシズムの標準形態というよりは,むしろその極限形態と位置づけられるべきであろう。日本のファシズムについては,その形成過程において,下からの運動よりは既存の支配層による〈上からのファッショ化〉が中心であったこと,対外侵略が〈国家改造〉に先行する〈外先内後〉型であったこと,ファシズム体制は1940年10月の〈大政翼賛会〉の発足で成立したことなどが,これまで主張されている。なお,ハンガリーのホルティやポーランドのJ.ピウスーツキの体制はファシズム体制ではなかったとするのが,通説となっている。…
※「国家改造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」