国展(読み)こくてん

世界大百科事典(旧版)内の国展の言及

【土田麦僊】より

…しかし文展内の閉鎖的な空気にあきたらず,麦僊と同時に絵画専門学校本科に入学した村上華岳,榊原紫峰,また同窓の小野竹喬,野長瀬晩花らと17年国画創作協会を創立,官展を離脱して新日本画開拓の運動を起こした。同展(国展)に耽美的傾向の《湯女》《三人の舞妓》などを発表したが,21年から23年にかけヨーロッパに遊学,印象派,後期印象派の影響をさらにうけ,帰国後その画風の日本的消化につとめた。24年第4回国展に発表した《舞妓林泉図》(東京国立近代美術館)はセザンヌの影響の上に日本美が追求され,27年にはルソーの感覚をとり入れた《大原女》(絹本着色)を発表した。…

※「国展」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」