知恵蔵 「国民運動」の解説
国民運動
(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)
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「ファランヘ党」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…第2は,同年10月1日,同評議会の陸海空三軍総司令官と新たに設置された国家首長の座にフランコが就任し,軍事面はもとより政治面でも権力を掌中にした時である。そして37年4月には,支援する政党,政治グループをすべて〈国民運動〉(〈スペイン伝統主義ファランヘ党と国民サンディカリスト行動隊FET y de las JONS〉)と呼ばれる統一党に吸収して,フランコは党首の座に就いた。 フランコ体制の枠組みは,憲政上の柱となった〈国家首長継承法〉(1947年7月6日の国民投票によって可決)の四つの基本原則に集約できる。…
…7月18日,全国の主要都市で反乱軍が一斉に蜂起する。フランコはカナリア諸島から全国民へ,〈国民運動〉の動機と目的を表明した。同日昼過ぎ,フランコは飛行機でラス・パルマスを出発,アガディール,カサブランカを経て19日午後7時テトゥアンに到着した。…
…この合併はフランコによって承認され,国家と教会の分離条項を削除するなどのイデオロギーおよび法律的基盤はセラノ・スニェルRamón Serrano Suñer(1901‐ )によって準備された。しかしこの合併は,すべてのファランヘ指導部とカルリスタが認めたわけでなく,この時以来,運動は〈国民運動〉と称され,フランコが〈国民運動〉あるいは唯一党FET y de las JONSの党首となり,新ファランヘはフランコ政権の支柱となった。フランコは新ファランヘのイデオロギーに従って労働憲章(1938),国家基本法(1958),国家組織法(1967)などを発布した。…
…終始陣頭に立って指揮し,39年4月1日,内乱に終止符を打つ。39年7月31日の布告で,フランコ新体制はファランヘ党を中心とした〈国民運動〉として展開され,内乱左派を弾圧しつつフランコの独裁政治が敷かれることになった。その根本は全体主義的政治理論,文化的ナショナリズム,カトリック至上主義,自立経済主義にあった。…
※「国民運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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