世界大百科事典(旧版)内の国民革命運動の言及
【パス・エステンソロ】より
…在任1952‐56,60‐64,85‐89年。タリハ州に生まれ,ラ・パスのサン・アンドレス大学で経済を学び,大学教授,弁護士を経て,39年国会議員となり,41年国民革命運動(MNR)の創設に参加した。43年にクーデタを指揮して同党のビジャロエル政権を成立させるが,同政権の崩壊とともに46年アルゼンチンに亡命する。…
【ポプリスモ】より
…大衆を支持基盤とした政治運動。ラテン・アメリカではメキシコのカルデニスモ(L.カルデナス),ブラジルのバルギスモ(G.D.バルガス),アルゼンチンのペロニスモ,ペルーのアプリスモ(アプラ),ボリビアのMNR(国民革命運動),ベネズエラのAD(民主行動党)などがその典型例とされる。これらの運動にほぼ共通する特色としては,(1)労働者や中産階級さらに一部の上流階級を含む多階級的な支持基盤をもち,(2)カリスマ的リーダーによって指導され,(3)反帝国主義,民族主義的イデオロギーを有し,(4)農地改革や労働者の保護政策により,大衆の生活水準の向上を企図するが社会の抜本的変革は志向せず,(5)階級闘争よりも階級調和を重視する点で共産党とは一線を画する,といった特質を挙げることができるだろう。…
【ボリビア】より
…このため,政治に対する国民の意識の乏しさも手伝って,国民諸政治勢力のバランスはつねに不安定で,文民支配・民主政治の維持は困難であった。1952年より64年までボリビア革命を率いた民族主義的な政党,国民革命運動(MNR)による文民支配があったが,64年以後82年まで,わずかの例外を除いて軍部の支配下にあり,かつ軍部内の対立を反映してクーデタが相次いだ。 保守派のバンセル軍政の後1978年に始まった民主化プロセスでは,3回の大統領選挙と5回のクーデタという混乱をきたしたが,82年10月に民政移管が実現した。…
※「国民革命運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」