世界大百科事典(旧版)内の国際博覧会に関する条約の言及
【博覧会】より
…その後1851年のロンドン博覧会(Crystal Palace Exposition)をはじめ,ヨーロッパの各都市で開催された。1928年パリにおいて〈国際博覧会に関する条約Convention Concernant les Exposition Internationalle〉が調印されてから万国博覧会が盛んになり,ブリュッセル(1935),パリ(1937),ニューヨーク(1939),サンフランシスコ(1939),ブリュッセル(1958),シアトル(1962)と大規模な万国博覧会が開催されている。64年と65年の2回に開かれたニューヨーク世界博覧会は国際条約に基づくものではないが,39ヵ国が参加した大規模なものであった。…
【万国博覧会】より
…時代の最先端をいく世界各国の科学技術の粋を一堂に集めて展示するほか,各国それぞれのお国ぶりを紹介する展示や催物により国際交流を深めようとする世界最大の博覧会。万国博,万博とも呼ばれる。その第1回はイギリスのビクトリア女王の夫君アルバート公の強い後押しもあって1851年ロンドンのハイド・パークで開かれ,約40の国が参加した。入場者は600万人で興行的にも成功した。この成功は当時イギリスにならって工業化の道を歩んでいたフランス,アメリカなどの国々にとって大きな刺激となり,以降,ニューヨーク,パリ,ウィーンなどで次々に万国博が開かれていった。…
※「国際博覧会に関する条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」