土御門東洞院殿(読み)つちみかどひがしのとういんどの

世界大百科事典(旧版)内の土御門東洞院殿の言及

【京都御所】より

…京都市上京区京都御苑内にある旧皇居。1337年(延元2∥建武4),北朝の光明天皇のとき里内裏の土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)を皇居と定めたことに始まる。1869年(明治2)東京奠都(てんと)まで歴代天皇の内裏として同じ位置にあったが,御所敷地の規模は後世の再建・造替のたびに拡張された。…

【里内裏】より

…しかし閑院再建の望みは消滅せず,ようやく1317年(文保1)幕府の資力により閑院内裏を模して富小路殿が新造され,花園,後醍醐2代の皇居となった。この富小路殿も1336年(延元1∥建武3)戦火により焼亡し,後醍醐天皇が吉野に南遷した後は,持明院統に伝領された土御門東洞院殿が北朝歴代の皇居となり,土御門内裏として定着した。そして織田信長,豊臣秀吉の拡張修営を経て江戸時代に入り,中世的な里内裏から近世的な御所へと面目を一新し,京都御所が誕生した。…

【土御門殿】より

…藤原道長の邸宅の一つであり,土御門京極殿,上東門第,京極殿とも呼ばれた。平安京の土御門大路南,京極大路西に所在し,東西1町,南北2町の地を占めた。この邸はもと土御門左大臣源雅信の邸であり,雅信の女倫子と道長が結婚したところから倫子の住む土御門殿に道長が同居し,道長の地位,権勢の上昇とともにその本邸として重要な位置を占めるようになった。道長の女彰子(一条天皇后,上東門院)の里御所に土御門殿が用いられ,彰子所生の後一条,後朱雀両天皇がこの邸で誕生している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」