世界大百科事典(旧版)内の地主佃戸制の言及
【官田】より
…地主は,このようにして国家から官田の小作を請け負い,これを又小作(またこさく)に出した。したがって,官田においても,民田の場合と同じく小作制(地主佃戸制(じぬしでんこせい))が発達した。官田は全国各地に置かれたが,最も農業生産力が高い長江(揚子江)下流南岸のデルタ地帯では,南宋ころから多くの土地が官田化され,明初には,常州,鎮江,蘇州,松江,湖州,嘉興の六つの府の農地の4割5分強を官田が占めた。…
【抗租】より
…11世紀後半から20世紀中葉の土地改革にかけての期間,中国の小作農に当たる佃戸(でんこ)(あるいは佃農)の行った,小作料の徴収をめぐる地主(田主(でんしゆ)あるいは業主)への抵抗運動。中国ではすでに漢代から形態の上で小作制度に近似した慣行はあったが,土地を所有する地主が佃戸と契約を交わして土地を貸し出し,佃戸が小作料を納入する制度(租佃制あるいは地主佃戸制)が華中・華南を中心に普及していくのは10世紀に入ってからであり,すでに唐代後半,8世紀半ばに先駆的な例のある抗租についての資料も,11世紀後半,北宋中期,長江(揚子江)下流南岸デルタの蘇州市,嘉興市方面での動きを伝えるものをはじめとしてしだいに増えてくる。12世紀後半,南宋初期には,同じ地域の湖州市方面で数十人の佃戸が約束を取り交わして地主に小作料を納めないため,地方官の厳しい処分を受けている。…
※「地主佃戸制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」