垣屋恒総(読み)かきやつねふさ

世界大百科事典(旧版)内の垣屋恒総の言及

【鳥取藩】より

…ただ垣屋光成・恒総父子支配下の浦富藩領の巨濃(この)郡銀山から産出する銀を直接管理したようで,1598年(慶長3)長熙(兵部法印)の名で伏見の秀吉のもとに運上9282枚3両6分2厘を送っている(慶長三年蔵納目録)ことが知られる。 1600年の関ヶ原の戦で西軍に従った宮部氏に代わって,近江国から池田長吉が入部して鳥取城主となり,宮部時代の高草郡を除く3郡と西軍垣屋恒総の跡の巨濃郡を加えて4郡6万石を領し,約17年在城した。その間,天守や城郭の修築・整備を行うとともに,鳥取の外港ともいうべき高草郡賀露の港を八上郡袋河原村と交換に,隣藩の鹿野藩主亀井茲矩(これのり)から譲り受け,鳥取城下の発展をはかったと伝える。…

※「垣屋恒総」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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