世界大百科事典(旧版)内の堀川運河の言及
【遠賀川】より
…流域は人口激減など深刻な打撃をうけたが,産炭地域振興の企業が多数誘致され,内陸工業地域に変貌しつつある。中流の寿命(桂川町)から洞海湾に通ずる堀川運河とともに,米その他の物資,特に筑豊炭の輸送に大きな役割を果たしたが,水運は明治中ごろの筑豊本線など鉄道開通後しだいに衰え消滅した。古来しばしば洪水を起こし,明治以後も1889年,1905年,41年など再三の大洪水に見舞われ,1906年からは国直轄の改修工事が行われてきたが,石炭採掘に伴う堤防陥落などもあり,53年6月の集中豪雨で大被害を受け治水工事は現在も続けられている。…
【洞海湾】より
…古くは洞海(くきのうみ)とか大渡(おおわたり)川とよばれ,水深3~4m,幅1.5~2kmの浅瀬や藻場の多い好漁場であった。また湾奥から江川および1762年(宝暦12)完成の堀川運河により遠賀(おんが)川と結ばれ,江戸時代,南岸の黒崎は港宿場町,湾口西岸の若松は藩米,石炭の積出港として栄えた。1888年以後,相次ぐ築港工事により旧海面の約半分が工場用地に埋め立てられたため,現在は幅0.3~1kmの細長い運河状となり,湾奥まで水深8.5mの航路が通じている。…
【中間[市]】より
…また北九州市の黒崎に通じる筑豊電鉄沿線の東部丘陵地の住宅地化が進むなど,最近は北九州市の衛星都市としての発展がめざましい。桜の名所垣生(はぶ)公園内には横穴古墳群(羅漢百穴)があり,堀川運河は遠賀川と洞海湾を結び石炭輸送に利用され,唐戸水門がある。【土井 仙吉】。…
【直方平野】より
…また河口が砂丘によって狭められていることもあって,古来洪水に悩まされた。このため治水工事も早くから進められており,明治期に石炭水運で活躍した堀川運河(遠賀川下流部と洞海湾とを結ぶ。全長7.6km。…
※「堀川運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」