世界大百科事典(旧版)内の堅田荘の言及
【堅田】より
…11世紀後半には京都の下鴨社(鴨御祖神社)の御厨(みくりや)となっていたことが確かめられるが,それ以前は定かでない。平安末期までには,堅田荘として,延暦寺の荘園ともなっており,1227年(嘉禄3)には,承久の乱の行賞として,佐々木信綱に堅田荘の地頭職が幕府より与えられているところからすると,鎌倉時代の初めには,地頭職・領家職の二つに分かれていたものと推測される(《吾妻鏡》)。しかし,こののち延暦寺の支配が強まるにつれて,地頭職は実質的な意味を持たなくなったとみえ,史料の上からも姿を消す。…
※「堅田荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」