堪百姓(読み)かんびゃくしょう

世界大百科事典(旧版)内の堪百姓の言及

【百姓】より

…このように編戸にもとづく公民制,良賤・華夷の差別を維持することが,律令制支配の根幹であったが,一般公民の浮浪・逃亡,奴婢の解放,蝦夷の征服と抵抗が進行するにともなって,律令制はしだいに変質・解体していく。とくに班田収授が行われなくなった公田や初期荘園において,〈土人・浪人を論ぜず〉に農人を定め,彼らを堪百姓,負名(ふみよう),田堵(たと),作人(さくにん)などと呼び,こうして生まれた新たな公民,荘民らが,王朝貴族支配下の百姓となった。彼らは公田,荘田を大小の〈名(みよう)〉に分割して経営し,名田に課せられる官物(かんもつ),地子(じし)の納入責任を負うが,令制下の公民のような人身支配をうけず,移動・居住の自由をみとめられ,百姓治田など私財を所有し,権利侵害や非法苛政に対して訴訟や上訴を行うことができた。…

※「堪百姓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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