堺・泉北コンビナート(読み)さかいせんぼくこんびなーと

世界大百科事典(旧版)内の堺・泉北コンビナートの言及

【コンビナート】より

…これらに加えて,コンビナートは海外を含む広域の市場に対する素材供給基地としての性格をもつため,地元工場とのつながりは薄く,いわゆる経済効果もそれほど大きなものではない。たとえば堺・泉北コンビナートは大阪府下の全工業との比率でいえば,電力使用量で41.4%(1970),工業用水使用量で22.3%(1974),敷地面積で17.1%(1973)を占めるが,製造品出荷額では11.2%(1974),雇用量ではわずか1.7%(1974)を占めるにすぎない。 集積の利益は企業が享受し,集積の不利益は地域住民が負担するというコンビナートの構造は社会通念のうえでは許されるものではないが,これを円満に解決することは困難であり,地域住民としては裁判などの法的手段で対抗することも多い。…

【堺[市]】より

…堺緞通として知られる敷物業や,市内石津川流域に展開している注染業など繊維関連産業も特色のある地場産業である。また,大阪府が大阪経済の地盤沈下を回復するため,1958年以降大和川河口から石津川河口までの間の海面を埋め立て,素材型中心の重化学工業を誘致して堺・泉北コンビナートを造成した。現在,新日本製鉄,日立造船,三井東圧,大阪瓦斯,関西電力などの大企業に加え,中小企業団地も立地し,大阪市に次いで府下2位(1995)の工業出荷額をあげている。…

※「堺・泉北コンビナート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」