塩冶判官(読み)えんやはんがん

世界大百科事典(旧版)内の塩冶判官の言及

【赤穂浪士】より

…近松門左衛門は《太平記》の世界の話ということでこの討入事件をとりあげ,《兼好法師物見車(ものみぐるま)》に続けて,1710年(宝永7)には《碁盤太平記》を上演した。吉良上野介義央を高師直に,浅野内匠頭長矩を塩冶(えんや)判官に,大石内蔵助(くらのすけ)を大星由良助(ゆらのすけ)として登場させている。また,討入りから47年目の1748年(寛延1)に義士たちを描いた代表的な人形浄瑠璃が書かれた。…

【浅野長矩】より

…その遺臣たちが翌年12月義央を殺害した事件は有名である。【田原 嗣郎】 赤穂浪士の討入りはその後戯曲等に仕組まれ,浅野長矩は《仮名手本忠臣蔵》では伯州の城主,塩冶(谷)(えんや)判官高貞(定)として登場する。芝居ではおっとりした役柄で,そこが高師直(吉良義央)にいじめられるときや,切腹の場面などで観客の涙をさそうことになる。…

【塩冶高貞】より

…鎌倉末~南北朝期の武士。塩冶判官,隠岐大夫判官と号される。父は貞清。…

※「塩冶判官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」