墨胡子(読み)ぼくこし

世界大百科事典(旧版)内の墨胡子の言及

【阿道】より

…小獣林王は翌年,阿道のために伊弗蘭寺を建て,また2年前に前秦からきた僧の順道には省門寺を建てたが,これが朝鮮の仏教の始めとされる。新羅の訥祇(とつぎ)王(417‐457)のときに高句麗から新羅の一善郡にきて仏教を伝えた墨胡子は,この阿道と同一人とする伝えがあり,また阿道は父を魏の人,母を高句麗人とした3世紀の僧とする異伝もある。【浜田 耕策】。…

【仏教】より

…百済については,384年(枕流王1)7月,東晋に遣使朝貢し,さらに9月にはインド僧摩羅難陀(まらなんだ)が晋より来朝したので,宮中に迎えて礼敬したのが百済仏教の始めである。新羅については,第19代訥祇(とつぎ)王(417‐458)のときに沙門墨胡子が高句麗から新羅の一善郡に仏教を伝えた。また,百済からは6世紀前半の聖王代に日本に仏教が伝えられ,百済の観勒,高句麗の慧慈慧灌など,来日した学僧も少なくない。…

※「墨胡子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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