壺坂僧正(読み)つぼさかそうじょう

世界大百科事典(旧版)内の壺坂僧正の言及

【壺阪寺】より

…96年(永長1)本堂(八角円堂),礼堂,五大堂,弥勒堂,宝蔵などが焼失し,1207年(承元1)にも再度焼亡した。鎌倉時代初期に興福寺別当覚憲は寺観の整備に尽くしたため壺坂僧正と称せられ,興福寺との関係が深まり,中世には一乗院の末寺となり,周辺には壺坂荘が成立した。1441年(嘉吉1)の《興福寺官務牒疏》には僧坊30宇と伝え,法相・真言二宗兼学の寺であったと《大乗院寺社雑事記》は述べている。…

※「壺坂僧正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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