世界大百科事典(旧版)内の外人法・治安法の言及
【ケンタッキー・バージニア決議】より
…アメリカ合衆国連邦議会が1798年6~7月に制定した〈外人法・治安法〉に反対する決議。当時政権の座にあったフェデラリスツは,同党に批判的なリパブリカンの支持者に外国生れの新聞や雑誌編集者が多かったことから,政府批判を抑えるために〈外人法・治安法〉を,1800年の大統領選挙に合わせて成立させた。…
【ジェファソン】より
…93年国務長官を辞したが,97年フェデラリスツのジョン・アダムズのもとで副大統領に選ばれた。この時代,対仏関係の悪化に伴う反政府活動を規制する目的で〈外人法・治安法〉が作られたが,彼はそれを批判する文書を匿名で著し,ケンタッキー州のリパブリカンズ支持者たちはそれを公的声明として採択させることに成功した(ケンタッキー・バージニア決議)。1800年の大統領選挙においてリパブリカンズは勝利し,彼は大統領に選出され,就任演説で,アメリカは〈人類最上の希望〉であると述べた。…
※「外人法・治安法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」