多田元吉(読み)ただもときち

世界大百科事典(旧版)内の多田元吉の言及

【紅茶】より

…海外では紅茶の需要が圧倒的に大きかったからである。そこで明治政府は1874年内務省勧業寮農政課に製茶掛を設け,まず中国から紅茶の技術者を招き,ついで多田元吉らをインドに派遣してインド風紅茶の研究をさせるなど,紅茶の伝習と製造奨励に努めた。そしてその製品の販売をイギリス,オランダ,とくにオーストラリア市場に期待したが,原料茶の不適と製茶技術の未熟のほか,インド紅茶の進出におされて成功しなかった。…

※「多田元吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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