世界大百科事典(旧版)内の多胡辰敬の言及
【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より
…毛利氏の家臣玉木吉保は,13歳のときから安芸の勝楽寺で3年間学んだが,その内容は,第1年目は,いろは・仮名文・漢字の手習い,《庭訓往来》などの往来物や《貞永式目》《童子教》《実語教》などの読書,第2年目は,漢字の手習い,《論語》《和漢朗詠集》などの読書,第3年目は,草行真の手習い,《万葉集》《古今和歌集》《源氏物語》などの読書,和歌・連歌の作法などを学び修了している。ここでは,算術は学ばれていないが,尼子氏の家臣多胡辰敬の家訓には,第1に手習い・学問,第2に弓術,第3に算用の勉学の必要をあげており,これら地方武士においても計算能力が重視されるようになったことが知られる。 室町時代,流通経済の著しい発展にともない商工業者の活動がめざましくなるが,これらの町人たちは,その職業がら計算力はもちろんのこと,識字力も必要となった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」