夢の工場(読み)ゆめのこうじょう

世界大百科事典(旧版)内の夢の工場の言及

【日本映画】より


【撮影所の興亡】

[関東大震災前後]
 吉沢商店が東京目黒行人坂に日本最初の撮影所を建てた(1908)のにつづいて,Mパテー商会が東京大久保百人町に(1909),福宝堂が東京日暮里花見寺に(1910),横田商会が京都二条城西南櫓下に(1910),次々撮影所を建設した。以後,映画の隆盛に伴ってさらに多くの撮影所が生まれ,〈夢の工場〉と呼ばれるとともに,時代の推移と製作会社の転変に応じて興亡を繰り広げていく。撮影所の興亡史はそのまま日本映画の歴史といっていいだろう。…

【ハリウッド】より

…そして,1920年代半ばには,ハリウッドで製作されるアメリカ映画は世界映画市場の90%を占めるまでになり,自動車,鉄鋼,石油などと並ぶアメリカの5大産業の一つになった。
[夢の工場からスキャンダルの都へ]
 第1次大戦後の約10年間のアメリカ映画の世界制覇の基礎は〈スター・システム〉であり,そのスターは製作会社の道具であり,トレードマークであり,〈資本の要求〉によってハリウッドがつくりあげたものであった。そして映画の魅力がスター・バリューにおきかえられ,つくりあげられたスターたちの私生活をめぐる神話や伝説が宣伝され,ハリウッドは映画観客の夢の憧憬の中心となり〈夢の工場〉となった。…

※「夢の工場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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