世界大百科事典(旧版)内の《夢遊桃源図》の言及
【安堅】より
…山水画にもっとも長じたが,その画風は高麗末・李朝初に伝えられた北宗の李成・郭熙派の流れを汲むものと新しく興った明代浙派の画風を巧みに調和させたものである。彼の唯一の直筆である《夢遊桃源図》(奈良,天理大学)は李朝絵画の中でももっともすぐれた作品の一つとされている。絵に付された大君の跋文によれば,大君が当時の高名な文人朴彭年と共に桃源郷に遊ぶ夢を見,その夢中の理想郷の光景を千載に伝えるため,ただちに安堅に命じて描かしめたのが,この絵であるという。…
【李朝美術】より
…しかし,同代の現存作品はその数がきわめて少なく,とくに15世紀にそれが著しい。その中にあって安堅の《夢遊桃源図(むゆうとうげんず)》は,芸術愛護で知られた安平大君李瑢(りよう)の命で描かれたもので,現存する李朝絵画の随一の傑作といわれている。図には大君の題跋のほかに申叔舟(しんしゆくしゆう)など当時の名臣碩儒21人の跋が付せられており,書跡としての価値も高い。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」