世界大百科事典(旧版)内の大ギリシア主義の言及
【ギリシア】より
… 独立当時のギリシア領域は,アルタ湾とボロス湾とを結ぶ線以南の本土とキクラデス諸島に限定されており,残されたギリシア人居住区の併合問題は政府の当初よりの懸案であった。国境拡大は唯一の,国民の一致した民族的要求であったが,19世紀後半より,それは旧ビザンティン帝国領域を最大目標とする大ギリシア主義(〈メガリ・イデア〉とよばれる)の運動となって展開し,実際,領土は拡大しつつあった。露土戦争(1877‐78)でギリシアは中立を維持し,その結果ベルリン会議(1878)においてテッサリアおよびエピロスの一部の併合が認められた(併合は1881)。…
※「大ギリシア主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」