世界大百科事典(旧版)内の大倭紫陽花邑の言及
【コミューン】より
…主要な担い手はヒッピーであった。 近代日本では,急激な産業化による矛盾が顕著になってきた明治末から大正期にかけて〈一灯園〉〈新しき村〉などの宗教的コミューンが,昭和期の疲弊する農村から〈心境部落〉や〈山岸会〉などの政治的コミューンが,また敗戦の混乱から生まれてくる〈大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)〉のような宗教的コミューンが,それぞれの代表例と考えられる。さらに70年前後から心理志向の〈部族〉やヒッピーのコミューンが各地で試みられるとともに,社会変革を明確に志向する〈弥栄之郷(やさかのさと)〉などが現れた。…
※「大倭紫陽花邑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」