世界大百科事典(旧版)内の大和同志会の言及
【被差別部落】より
…それの趣旨は,政府・地方官庁等が被差別部落の〈自粛〉を促す〈慈恵〉的措置を基本とするのに不満を表明し,〈人道主義〉の立場を強調して,〈官民一致〉の体制による差別の解消を広く国民に訴えていくというものであった。この運動の組織団体としては,〈大和同志会〉(1912),〈帝国公道会〉(1914),〈同愛会〉(1921)等々があり,それぞれに国民の意識啓発の面で一定の役割を担ったが,その主たる担い手が被差別部落の有力者層,ならびに議員・財界人たちであったこともあって,部落差別の根を政治・社会の構造的矛盾のなかに見いだし,〈社会改革〉の展望において解放の道を求めるというような立場とは無縁であった。この点への批判は,官庁・警察・学校教師・僧侶・有力者らが主導する型の〈部落改善事業〉のあり方や本質への反発も含めて,被差別部落内の青年層のあいだでしだいに高まり,同情的な差別撤廃論を排して自発的な集団運動を積極的にすすめようとする勢いが強まり,ついに1922年3月3日,京都市の岡崎公会堂における〈全国水平社創立大会〉の開催をみるにいたったのである。…
※「大和同志会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」