世界大百科事典(旧版)内の大和大納言の言及
【豊臣秀長】より
…翌年従三位参議。87年にも九州征伐で日向口を指揮して島津軍を破り,従二位権大納言となり大和大納言といわれた。秀吉および諸大名の信望もあつく,豊臣政権下で枢要の位置を占めたが,90年病にかかり,小田原征伐には留守居となり,翌年1月郡山城で病没。…
※「大和大納言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...