世界大百科事典(旧版)内の大垣新田藩の言及
【大垣藩】より
…2代氏信治政下の56年(明暦2)には,大垣藩法の集大成である〈定帳〉の原型ができあがり,つぎの氏西治政下で,かなりの数の家臣団整理〈延宝の大暇〉が断行された。4代氏定のとき,88年(元禄1)には大垣新田藩(氏定の弟氏成)が成立。幕末には小原鉄心による嘉永の改革や安政・慶応期に軍制改革が行われ,幕府の命で京都警衛や長州戦争などに参加し,戊辰戦争では新政府側で出兵。…
【戸田氏】より
… 宗光の4世の孫氏輝より出たとされる美濃国大垣城主の戸田家は,家康,秀忠に仕えた戸田一西(かずあき)が近江国大津城から同国膳所崎(ぜぜがさき)に築城して移され,その子の氏鉄(うじかね)が摂津国尼崎城主へ,そして1635年(寛永12)に大垣城主10万石に移封されて,明治に至った(大垣藩)。大垣新田藩祖の氏経,美濃国大野郡牛洞(うしぼら)に本拠をもつ旗本戸田氏の祖氏照は,氏鉄の次男と六男である。大垣新田藩は3代氏成のとき1万石を領して諸侯に列せられ,1869年(明治2)の版籍奉還の後は野村藩と改称された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」