世界大百科事典(旧版)内の大夏国の言及
【宋】より
…かえって1004年(景徳1),遼の大挙侵入をうけ,澶(せん)州において和議(澶淵の盟)を結び,宋は兄,遼は弟の関係とし,宋から多額の銀と絹とを歳幣として贈ることを定めた。そのころ西北辺にはタングート族が興起し,東西貿易の利を占めて強大となり,1038年(天授礼法延祚1)ついに独立して大夏国を建てた。宋側はこれを西夏とよんだ。…
【明玉珍】より
…1353年(至正13)徐寿輝の天完国に参加し重慶を拠点に勢力を伸ばしたが,60年陳友諒が徐寿輝を殺して大漢国をたてると隴蜀王として自立し,四川一帯を支配した。62年大夏国をたてて皇帝となり,弥勒ないし明(マニ)教を信奉して周制を模倣した官制をしき,科挙を施行するなど体制の確立に努めた。没後,子昇が位をついだが,71年(洪武4)明朝に下った。…
※「大夏国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」