大弁官(読み)だいべんかん

世界大百科事典(旧版)内の大弁官の言及

【二官八省】より

…このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。 天武朝においては,古くからの官庁で神祇官の前身である神官と太政官・大弁官が並存し,唐の尚書省の六部(りくぶ)(吏部,礼部,兵部,刑部,戸部,工部)を模して設けられた法官(のちの式部省,以下同じ),理官(治部省),大蔵(大蔵省,ただしこれの歴史は古い),兵政官(兵部省),刑官(刑部省),民官(民部省)の六官は太政官・大弁官の統轄下にあったが,のちに宮内省となる宮内官や内廷の中小官庁はそれぞれ独立して存在していた。こうした状態は,689年(持統3)施行の飛鳥浄御原令の官制を経て,701年(大宝1)施行の大宝令の官制にいたって整理され,太政官を全官庁の統轄官庁として官庁組織の頂点に置く二官八省の体制が完成する。…

【弁官】より

…この意味で弁官は,太政官を中心に行われた律令政治のかなめをなす行政事務執行機関,行政命令書発給機関であった。 このような弁官の起源は,7世紀後半の天武朝の大弁官にさかのぼる。大弁官は,大弁官という単一の官職で構成された官庁であったと推定されるが,法官(のちの式部省,以下同じ),理官(治部省),大蔵(大蔵省),兵政官(兵部省),刑官(刑部省),民官(民部省)の六官と地方官の国宰(くにのみこともち)(のちの国司)を統轄した。…

※「大弁官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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