大日本帝国剣道形(読み)だいにほんていこくけんどうがた

世界大百科事典(旧版)内の大日本帝国剣道形の言及

【剣道】より

…明治20年代になると学校の課外などでも盛んになり,95年桓武(かんむ)天皇奠都(てんと)1100年を記念して大日本武徳会が創設され,武道教員の養成,道府県支部の結成,武徳殿建設などとともに,剣道の普及につとめた。剣道の近代化に必須の流派の統一も,武徳会によってはかられ,1912年〈大日本帝国剣道形〉が制定されて,剣道は全国的に組織化された。一方,学校剣道については,明治10年代以来武道の正科編入運動が継続され,数回の建議ののち,1911年中学校体操科の随意科としてその実現をみた。…

※「大日本帝国剣道形」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む