世界大百科事典(旧版)内の大森頼顕の言及
【小田原[市]】より
…【伊倉 退蔵】
[歴史]
相模国足柄下郡のこの地に早川牧から発展した早河荘が12世紀初頭に姿をあらわし,その一つの郷名が小田原である。鎌倉・南北朝期には土肥氏や伊豆走湯山(そうとうさん)領があり,15世紀初頭,上杉禅秀の乱で土肥氏が没落すると,代わって山内上杉氏の家臣大森頼顕が入部してきた。1432年(永享4)には,東海道の小田原の関があり,関銭が鶴岡八幡宮修理料となっていた。…
※「大森頼顕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」