世界大百科事典(旧版)内の大津県の言及
【近江国】より
…膳所藩,水口藩などでも,家中は勤王派,佐幕派と分かれて抗争する所があったが,彦根藩にならい討幕派についた。 1868年(明治1)1月設置された大津裁判所は,4月大津県と改め,幕領,2藩,2宮家,86旗本の所領を管轄下に置いた。71年7月廃藩置県により諸藩はそのまま県を呼称したが,11月近江国を南北二分し,大津県と長浜県に統合された。…
【滋賀[県]】より
…江戸末期には彦根藩をはじめ,膳所(ぜぜ),水口(みなくち),大溝,西大路,山上,宮川,三上の諸藩が置かれていたほか,天領,旗本領,他藩の飛地,寺社領,公家領,宮家領が複雑に入り組んでいた。1868年(明治1)大津裁判所,続いて大津県が置かれて天領はじめ諸領地をつぎつぎと管下に治め,71年大溝藩を併合した。一方,70年に三上藩遠藤氏が和泉国へ移ったが(吉見藩),新たに羽前国山形藩水野氏が移封されて朝日山藩として立藩した。…
※「大津県」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」