世界大百科事典(旧版)内の大臣大饗の言及
【宴会】より
…8世紀には,唐,新羅,渤海の使節が来訪すれば,朝堂院において天皇出御のもとに宴が開かれるのが例であったし,《懐風藻》で知られるように,長屋王は自邸に新羅使節を招いて詩賦の宴を催している。年初に行われる二宮(中宮と東宮)大饗,大臣大饗などは,年中行事としての宴ではあるが,直属の臣下あるいは一族の高官を招いて開く宴であるから,一面では賓客に対するもてなしとしての性格をもっており,3夜連続して行うのを通例とする結婚の宴は,通過儀礼にともなう宴であると同時に,賓客へのもてなしの宴でもあって,後に述べる三日厨(みつかくりや)に通ずるところがある。 乏しい史料によって知られる在地,庶民の催す宴会としては,やはりまず農耕儀礼に基づく年中行事として,地域の共同体が行うものがある。…
【蘇】より
…この蘇は内蔵寮に保管され,必要に応じて諸行事の際に使われていた。《江家次第》などによると,大臣大饗(だいきよう)の際には,天皇から蘇と甘栗をつかわされる決りで,その勅使を〈蘇甘栗使(そあまぐりのつかい)〉と呼んだ。また二宮大饗の献立には蘇が加えられるのが例であった。…
【大饗】より
…内裏または大臣家で正月に行われた年中行事。二宮大饗,大臣大饗,任大臣大饗などがある。二宮大饗は,正月2日に二宮(后宮,太皇太后,皇太后,中宮をふくめた後宮と東宮)に群臣が拝賀した後,玄輝門の西廊・東廊で饗宴が行われた。…
※「大臣大饗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」